自分の死は知覚できない

じぶんの中のあらゆる「なんとなく」がきらいなので、つらいです。
肉を食べる ということを限りなく疑いながら肉を食べている。
いっそベジタリアンになれば楽なんだろ−な。
でもほんとにそれで良いのかまだわからないので、
いまのところ、ぼくは肉を食べています。
自分のために死んでいい命がある、
ということを消極的に肯定している自分。
いたるところに死があってうっとうしいったらない。
ああそうか、だからなるべく隠すんだな。
そのくせみんなホラー映画なんか観たがるんだ。
日常の死をシャットアウトして、過剰な(且つ安全な)死を面白がる構造。

スクリーンの内側で起こる死はみんな喜ぶのに、ごくたまーにそこから飛び出して、ついでにホコテンに突っ込んだりすると「真昼の惨劇」とか言われたりして、オタクがたたかれたりするんだけど、違うだろ。

見たくないものを押し込めたのはだれだ。
それを(自覚・無自覚問わず)受け止めるのはだれだ。